東京不思議迷子最新情報に戻る
東京迷子最新情報に戻る
mustangcafe最新情報に戻る

連載 東京不思議迷子 第2回 「吉原遊郭」

東京不思議迷子 第2回 「吉原遊郭」
写真・文 インベカヲリ★ ゲスト IIDA REINA(霊能者)
Posted on 2011.10.10 MON

世界最古の職業は売春と言われているけど、 何百年もの歴史を持つ風俗街は世界広しといえどもそうはあるまい。 金と欲と、男と女。 情念渦巻く街を、黒服に警戒されながらも歩いてきました。 本日の不思議迷子は、「吉原遊郭」です。

吉原といえば、現在は風営法により「個室付き特殊浴場」という 体をなしているソープランド街だけれど、 その昔は国が認める一大遊郭であったことはあまりにも有名な話。 その歴史は長く、1618年(元和4年)から、 売春防止法が施行される1958年(昭和33年)まで、 340年も続いたというから驚く。 当初、日本橋人形町付近で開業した吉原遊郭は、 40年間続いたのちに現在の台東区千束4丁目あたりに移転。 これが「新吉原」と呼ばれる現在の吉原だ。

長い長い年月の中で、吉原も様々な姿を見せている。 明治時代には吉原大火によってほぼ全焼し、 大正時代には関東大震災によりほぼ全焼、 昭和に入ると東京大空襲によりほぼ全焼しているので、 そのたびに丸々作り変えられていることになる。 また第二次世界大戦後にはRAAが結成され、 占領軍のための慰安所が作られていたし、 そのすぐ後には、赤線と呼ばれる特殊飲食店街に姿を変えたので、 働く女性たちの事情も戦後は大きく変貌していたに違いない。 さらに江戸の長い歴史がプラスされるのだから、 時空を越えて多くの人々の想いがひしめき合っている町と言えるだろう。

今回同行していただくのは、霊能者のIIDA REINA先生。 ミャンマーで修行を積み、 プロとして活躍することを許された天性の霊能者だそうで、 霊のみならず、動物や人形、神様までも降ろして、 メッセージを伝えてくれる能力の持ち主。 いったい吉原遊郭では、どんな物語が見えるのか。



鶯谷駅よりタクシーに乗り込み、吉原大門交差点へ。 ここは吉原遊郭の最初の入り口に当たる場所。 現在は車がびゅんびゅん走り、その面影はまるでない。



隅っこには、弱々しい柳の木が1本、 電線にぶつかるようにして立っている。 うっかりすると見過ごしてしまいそうなこの木は、 実は有名な「見返り柳」だ。



遊び帰りの客が後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、 この辺りで遊郭を振り返ったことから名づけられたらしい。 空襲や震災のたびに焼け落ち、何度も植え替えられたとか。



真横にはガソリンスタンドがあり、 歩道に植えられた柳の木はなんだか窮屈そうだ。 「どうして見返り柳の横がガソリンスタンドなの? ここにあるのはよくないわよ。すぐに潰れるんじゃないの?」 唐突に、ガソリンスタンド批判を始めるREINA先生。 車がひっきりなしに走る大通りで、いったい何を言い出すのか。 「常識で考えればガソリンスタンドはここにあっていいのよ、 でも、この場所にあるのは違うと思うわ」

なにやら訳の分からない理屈に 「それなら、他の店ならいいんでしょうかね」と私。 「他の商売ならいいの。飲食店なんかあればいいんじゃない。 見返り柳は、招き柳みたいなものだから、商売繁盛をお願いしながら、 また来年も来なきゃね、と思うような店を作るといいのよ」 なるほど、招き柳とは良い表現だ。 「でもガソリンスタンドは良くないわ。 だって火がついたら大変でしょ!!」 その一言で、私はたと思い出した。

吉原といえば、有名な吉原大火で全焼したと言われているけれど、 実はそれ以前から頻繁に全焼しているのだ。 原因はいずれも不明で、客や遊女たちの放火ではないかと言われている。 それに見返り柳自体が、何度も焼け落ちているではないか。 それを話すと、「ほらね!!」と、勝ち誇ったようなREINA先生。



交差点の先は、吉原遊郭へと繋がるS字カーブが続く。 当時は「五十間坂」と呼ばれた通りだ。 右側には「吉原神社」があったけれど、 随分昔に遊郭をまたいだ反対側に移転したため今は見る影もない。



S字カーブが終わると、ここが正式な「吉原大門」跡となる。 驚いたことに、ちゃんとそれを示す柱が立っているではないか! 台東区も粋な計らいをするもんだ。 当時の吉原大門はそれはそれは立派な門で、人の出入りを監視する 「面番所」や自衛団の「四郎兵衛会所」があったらしい。



門をくぐると、きっかりその先からソープランドが立ち並ぶ。
これには感動!
ある意味で、吉原遊郭の歴史はまだ幕を閉じていないということか。

目の前の通りは「仲之町」と呼ばれる当時のメインストリート。 吉原遊郭は長方形に作られていて、 この「仲之町」を中心に左右に道が繋がり、 それぞれ通り名が「伏見町」「江戸町一丁目・二丁目」 「揚屋町」「角町」「京町一丁目・二丁目」とつけられている。 道の形状は、今もほぼ変らない。



現在の千束四交差点は、吉原遊郭の中心部にあたる場所だ。 今では当たり前のように近隣住民が歩いているけど、 昔は囲われた世界であったことを考えると実に感慨深い。



「仲之町」を突っ切って遊郭の外へ出ると、台東病院が姿を現す。 ここは当時「吉原病院」のあった場所で、 病気にかかった遊女たちは皆ここに運ばれたらしい。 遊女たちは、梅毒、肺結核、伝染病などにかかる率が高く、 常時200人は入院していたとか。 病気になれば稼ぐことはできず、 売れっ子じゃない遊女は随分と酷い扱いを受けたらしい。

REINA先生が病院の前で手を合わせると、 ブルブルと身体を震わせ始めた。 ふいに動きが止まり、遊女たちが乗り移る。 「ここは見世物じゃないんだよ!なにしにきたの!写真を撮らないで!」 REINA先生の口を借りて、遊女たちが怒る。
「ここはやめましょう。」
「知らずに写真を撮るのはしょうがないけど、知ってからはダメよ」
我に返った先生に促され、そそくさと場所を移動する。 残念ながらそういう理由で写真は出せません。 と書くと、何かとんでもない場所に思えるけれど、 実際の台東病院はとっても綺麗です。

「また生まれ変わったときは、幸せな人生を送ってください、 って思いながら来るといいのよ」とREINA先生。 霊は怖がるのではなく、友好関係が大切なのだ。



病院のすぐ近くには、吉原遊郭ゆかりの地、 「吉原弁天池跡」が存在する。 かつて池のあったこの場所は、 関東大震災のときに多くの人が逃げてきて、 490人が溺死するという悲劇が起きたらしい。

敷地内では、ちょうど塗装工事が行われていた。 入り口で佇む私たちに、 職人さんたちが「こんにちは」と爽やかに声をかけてくる。 しかし、一歩足を踏み入れると鬱蒼としていて、 私でも寒気を感じるほどだった。 「ここはすごいわね」と、神妙な顔つきのREINA先生。 犠牲者を供養する観音像が、入り口に背を向けるようにして立っている。 その後姿はとても生々しく、生身の人間のような気配を感じた。



「表から見てみましょう」
REINA先生に言われ、正面から観音像を見上げると、 ばっちり目があってしまった。



ロウソクとお線香が売られていたので、私たちも立てることにした。 後ろでは、職人さんたちがラジオを流しながら、 せっせと仕事をしている。



お線香を立てて手を合わせると、 REINA先生が身を震わせながらつぶやき始めた。
「苦しい…、苦しい…」



ラジオからは、爆風スランプのヒット曲「Runner」が流れている。 「苦しんで死んでる姿が浮かんでくるわ…」と、REINA先生。 このギャップに、私はしばし戸惑った。



「ほら見て、水が泡立っているでしょ、これはダメなのよ」 お供えものの水を指差すREINA先生。 泡立つのは“悪い気”がある証拠だそうだ。 「まだ成仏していないのね。もっと供養してあげないと」



再び病院側へ戻り、現在の「吉原神社」へと向う。 太陽がさんさんと照らされていて、雰囲気はとても明るい。



鳥居をくぐると、可愛い鬼がお出迎えしてくれた。



吉原神社には、土地をお守りする「お穴様」がまつられていて、 「心をこめてお詣りすると、必ず福が得られると伝えられ、 大切にお護りしております」と書いてある。 これを読むなり、REINA先生は 「まあ、ここは素敵な場所よ!」と声を上げ、ロウソクをお供えし、 さっそく神様を呼び出した。



REINA先生は唐突に始めるので、私も驚く。



「ここに来ると幸せになりますよ。もっと広めれば、 広めた人も幸せになりますよ」神様の乗り移ったREINA先生が喋る。

「でも、幸せってなんか漠然としてますね」と、 夢のない突っ込みをする私に、 「運をいただけるのよ。自分にとっての幸せだから、 具体的なお願いをしなきゃダメよ。出来れば一つね」とREINA先生。 「なるほど。それにしても、 元吉原病院と吉原神社は近距離にあるのに、随分な違いですね」 「そこを境にして、放っぽり出される人と、 幸せになれる人に分かれるのよ」 なんだかリアリティのある話だ。

神社を後にし、遊郭の周りを歩いてみることにした。 当時は「お歯黒ドブ」と呼ばれる川で四方を囲われ、 遊女が逃げられないよう工夫されていたのだ。



向かいの道路は、川の流れていた場所。



今ではすっかりアスファルトになり、お歯黒ドブは見る影もない。



角を曲がり、西側のお歯黒ドブ跡を歩く。 ちょうど川沿いに当たる右側の土地は「浄念河岸」と呼ばれ、 二番目にランクの低い遊女たちがいるエリアだったとか。



心なしか古びたビルが多く、景気の悪さを感じさせる。 「商売するなら、こっちの道はダメね」 やはり低級エリアであったことと関係があるらしい。



少し休憩しようと、吉原公園に入った。 ソープランドに囲まれたこの公園は、 遊具が置いてあっても、一人も子供はいない。 代わりに鳩が集まり、近所の老人たちが和やかにベンチに座っている。 「ここはよくないわ。早く出たほうがいい」 入るなりせかすREINA先生。



地図で見るとここは、江戸時代に「大文字楼」という 東京出身者のみを揃えた最上級クラスの大見世があった場所らしい。 当時の写真を見たけれど、お城のような木造家屋に、 ズラリと並ぶ遊女の姿が印象的だった。

「裏で客を取った取らない、足抜けだなんだとか、 そういういざこざを感じるわね。 子供でも敏感な子は分かるから、ここで遊びたがらないんじゃない!?」 さすがにソープランドに囲われた公園に 子供を連れてくる親はいないだろうが、 地元の中高生すらいないというのは確かに少し違和感がある。 仕方がないので公園を後にし、またもお歯黒ドブ沿いをテクテク歩く。



歩いていると気づくが、吉原は妙に売地が多い。 写真の場所は、ちょうど遊郭内にある土地で、 正面にはソープランドが見える。 歴史ある遊郭跡地に住めるなんていいなあ、と私は思ったけれど、 REINA先生は 「なかなか売れないでしょう。ワタシならタダでも住みたくないわね」 と、キッパリ拒絶。 「でも商売をするならいい場所なのよ。 この街が栄えてるのは風俗店があるおかげなの。 昔から商売繁盛の街なんだから」 うむ、もっともなご意見。

今の吉原は、建替えや新規出店が認められていないから、 いずれ無くなる可能性が高い。もしそうなったら…。 「街も活性化しなくなるでしょ。 そうなれば、この売地だって、商売してもダメになるわよ」
どうするんだ、台東区!?



ぐるりと周って、今度は吉原大門側のお歯黒ドブ跡を歩く。 こちらは古い一軒家が点在していて、赤線時代の名残が伺える。 吉原は東京大空襲でほぼ全焼しているから、 どんなに古くても戦後に建てられた家だろう。



この独特なカーブを描く壁などは、当時のカフェー建築であろうか。



こうしてみると、吉原遊郭内には 随分とたくさんの家々が建ち並んでいることがわかる。 昔は閉鎖されていたその空間に、 今では当たり前に人々が住んでいるということが、 なんだかとても不思議だ。

吉原を後にし、続いては三ノ輪にある「浄閑寺」へと向った。 浄閑寺は吉原からもっとも近いお寺であり、 安政の大地震で亡くなった遊女たちが大勢投げ込まれたことから、< 通称「投げ込み寺」と呼ばれている。



門の前に立つと、何やらヒヤっとした顔をするREINA先生。 いったい何が起きたのか!? 「あ、やっぱりお葬式をやってる。 お葬式の前を通るとワタシはいつもこうなるのよ」 ちょうどその日はお葬式が行われていて、 喪服姿の人々が寺内を歩いていた。 亡くなったばかりの霊には、違うものを感じるのだろうか。



こちらは寺内にある、「新吉原総霊塔」。 関東大震災や東京大空襲で亡くなった遊女たちも葬られている。 その数はなんと約2万人で、平均年齢は21歳という若さ。 外から納骨所を覗くと、無数の骨壷が見えて、 よりいっそう物悲しさを感じさせる。



~生まれては苦界 死しては浄閑寺~
総霊塔には、永井荷風が遊女たちを想って作った句が刻まれている。
「まあ、かわいそう」と、心から同情するREINA先生。



お供え物には、口紅やぬいぐるみが置かれ、
誰かが立てたお線香からは、まだ煙が漂っていた。



REINA先生が手を合わせ、またも遊女たちを降ろす。 異様なはずのこの光景も、何度か見れば慣れてくる。 「ここは変なところじゃないですよ。悲しいものじゃない。 私たちのところにくれば幸せになります。出世しますよ」

「…だそうです!」
我に返って、振り向くREINA先生。



なんて良い霊なんだ。 見れば、コップの水は泡一つ立っていない。すごい! 「こんな風にお供えされて供養されていると、 霊も恩返ししようとするのよ。 自分たちも何かしてあげようと考えてくれる、そういうことなの。 特殊な世界だから、いろんな運をあげてくれるわよ」



浄閑寺には他に、遊女・若紫のお墓も存在する。 個人のお墓が建てられるのは、遊女としてはとても珍しいことだ。 詳細が分からないので、若いお坊さんに訪ねてみると、 「特に有名な人ではないと思うけど、角海老楼の人たちが建てたんですよ」 と実にアバウトな答え。 ちなみに角海老楼とは、吉原遊郭内にあったお店の名前だ。



墓石の後ろに書かれた文字も、達筆すぎて読むことが出来ない。
うーん、困った。
「いいわ、呼び出して聞いてみましょ。そのほうが手っ取り早い」
てっきり別のお坊さんを呼ぶのかと思ったら、 なんと呼び出したのは若紫本人だった!



浄閑寺は人の出入りが激しく、私は周りの視線が気になったが、 REINA先生の集中力はすごい。 身体をガクガク震わせ、一瞬にして若紫の霊が入り込む。 「私はいっぱい貢献した遊女ですよ。 私のことはあまり知られていないんです。 どうかみなさんいっぱい広めてください。商売繁盛に繋がりますよ」
「やっぱり!」とREINA先生。
「ただの遊女じゃこんなに手厚くお墓まで建ててもらえないわよ」
ふむ、確かにこの自己アピールの上手さを見るに、 若紫はそうとう出来る女だったに違いない。



墓石の上には、 雨に濡れないようビニールに包んだ髪飾りが置かれていた。 「こういうものをお供えする方たちは、カンがいいの。 わかっていて願掛けにきているのよ」 出世や商売繁盛と聞くと、私もテンション上がってくる。

ちなみにネットの情報によると、 若紫は角海老楼一の人気と稼ぎがある遊女で、 年季明け直前に悲劇の結末を迎えたことから、 人々が哀れんでお墓を建てたらしい。



吉原遊郭めぐりを終え、ほっと落ち着く私たち。 「三ノ輪は普通ね、ここまでくると何も感じないわ」 なんだか清々しい顔のREINA先生。 吉原はそんなにすごかったんだろうか。 「でもね、吉原は商売繁盛には良いのよ。 お金を落としていく場所なんだから」 確かに、見方によっては、縁起が良いと言えるだろう。 なんせその昔は盛大に盛り上がった、華やかな場所なのだから。 「どこでもそうだけど、その土地で働いたり住んでいたりする人は、 縁があって引き寄せられた人なの。 良縁か悪縁かは、その人にしか分からないけどね」

吉原は普通の土地ではないぶん、 強烈な何かでもって集まってくることは間違いないだろう。 そう考えると、自分は今どこに住んでいるのか、ということも興味深い。 きっと東京のあちこちで色んな物語があるんだろう。

「今度はもっと都会がいいわ。 麻布とか白金とか、下町から離れましょうよ!」 と意気込むREINA先生。 そういえばこの方、意外とミーハーなところがあって、 以前、猫の話をしていたときも、 「私は長毛種の洋猫が好きなのよ。雑種は興味ないわ。 日本猫ならせめて柄じゃなくて単色がいいわね」 と、変なところで高級志向を醸し出していたっけ。 都会の一等地で、REINA先生はいったい何を見たいのか!? また、何が見えるのか。

次回はまだ何も決まっていません!!




※ ちなみにネットで見つけた昔の吉原の写真です。



※ 現在の新吉原(台東区千束4丁目)付近です。


より大きな地図で 新吉原付近 を表示


写真・文 インベカヲリ★ ゲスト IIDA REINA(霊能者)

撮影カメラ・レンズ
RICOH GXR
GR LENS A12 50mm F2.5 MACRO
RICOH LENS S10 24-72mm F2.5-4.4 VC